父が亡くなりました。
享年79歳でした。
父は長い間認知症を患っていて、施設に入っていました。
コロナの時代が始まってから面会禁止期間が多く、ずっと会えていませんでした。
コロナが終息したら会えるなんて思っていたけれど、その間にどんどん悪くなるばかりで、結局会えないまま、お別れになってしまいました。
私が面会できていた頃は施設内を一日中歩き回っていましたが、ここ数ヶ月は寝たきりになり、少し前から食事も取れなくなって、点滴をしていました。
10日ほど前に、もう危ないかもしれないと母から聞いて、覚悟は決めていました。
実に1年半ぶり。
再会した父の死に顔は、別人のようでした。
痩せこけて、骨と皮だけになり、正直、父だとは思えない変わりようでした。
余分な肉がなくなると、人はこんなにも人相が変わるものなのかと愕然としました。
1年半という月日の長さを思い知りました。
こんなにも会えず、会ってみれば別人のようになっていて、なんだか「父が死んだ」という実感はありません。
死んだのは別の人で、父はまだあの施設で暮らしているのではないか。
そんなことを考えてしまいます。
次に実家に帰った時には、きっと父のお骨と遺影が置いてあり、私は実家で線香をあげるのでしょう。
それでようやく、父は死んだのだと思えるのでしょうか。
父が死んだという実感はないくせに、涙だけは出てきます。
豪雨の葬式
葬式の日は線状降水帯が発生して朝から豪雨。
県内のあちこちで避難指示が出ていました。
コロナ禍なので県内の身内のみでの家族葬を予定しており、参列者はもともと少なかったのですが、この豪雨で来られない方もいて、さらに少ない人数での葬式となりました。
昼食用の弁当が届かないとか、火葬場までの車が手配できないとかトラブルもありましたし、火葬場は山の中にあるので、そこまでの道は大丈夫なのかとか、土砂崩れの心配とかあれこれ考えて、本当に気疲れをしました。
そもそも、葬儀場のスタッフさんたちが出勤できるのか…という心配もしていましたが、みなさんちゃんと時間通りに来てくださって安心しました。
そして、さまざまなトラブルに臨機応変に対応してくださいました。
お寺さんも、冠水した道を迂回しながらどうにか来てくださったようです。
しかし、こんな豪雨で自らの危険があるのに出勤しなければならない…というのも考えものですね。
危ない目に遭ってまでは来てほしくない、と思いながらも、来てもらえなかったら私たちもどうしたらいいか判らなかったので、非常に複雑な心境でした。
私自身も帰り道で豪雨に見舞われました。
冠水して通行止めになっている道があったり、少し土砂が崩れている道があったり。
生きた心地がしませんでしたが、どうにか無事に帰宅することができました。
父が教えてくれたこと
私は父からたくさんの事を教わったけれど、私は父に何をしてあげられたかな。
そんなことを考えます。
親孝行と呼べることはできたのか。
姉は未婚なので、実家にいて父の面倒をたくさん見ていたと思います。
私は何もしてあげられなかったな。
せめて孫の顔を見せてあげられたというのが、少しは親孝行になっていればいいけれど。
その孫たちにも、父は「身近な人の死」というものを、一番最初に教えてくれました。
本当に感謝しかありません。
次男はあまり解っていないようでしたが、長男はたくさん遊んでもらったし、たくさん怒られたし、思い出が次男よりも多いので感じることも多かったようです。
こうやって、人の死について子どもたちに教えていくことも、親の務めなのかもしれないと思いました。
私は親として子どもたちに何を教えてあげられるのか。
娘として母に何をしてあげられるのか。
残された者は、そうやって自分にできることを考えながら、生きていくことしかできません。